いきなりハイレベル問題に挑戦はキツイっす

市民講座「子どもの急な病気であわてないために…」

(知ろう!小児医療 守ろう!子ども達の会からのお知らせです。)
多摩地区にお住まいのママさんパパさん!

お子さんが急に発熱したりけがをしたら、慌ててしまいますよね。
そんなとき、どうしたらよいのか、
小児科医の先生から対処法を学んでおきたいと思いませんか?

12月5日(土)に、花小金井駅ちかくの多摩小平保健所で
子どもの病気や事故防止に関する講座が開かれます。

電話かFAXでの申し込みが必要ですが、
保健所主催の講座なので、受講料は無料!

小平市医師会長で鈴木小児科内科医院の鈴木昌和先生が対処法を伝授。
『知ろう!小児医療 守ろう!子ども達』の会の代表・阿真京子が
先輩ママとして体験談やいざという時お母さんが知っていて
役立つことなどをお話させていただきます。

正しい知識を持てば、いざというとき落ち着いて対応できます。
まだ受講者募集中とのこと、
この機会に、ぜひご参加ください。
託児は残念ながらないそうですが、同伴可です。

また、
12月5日(土)夜10時からのNHK教育テレビ「すくすく子育て」は
「上手にかかろう 夜間救急」というテーマです。
『知ろう!小児医療 守ろう!子ども達』の会代表の阿真も出演しますので、
こちらもぜひチェックしてみてくださいね☆
http://shirouiryo.com/


◆◇◆市民講座「子どもの急な病気であわてないために…」◆◇◆

日時:2009年12月5日(土) 14時~16時

会場:東京都多摩小平保健所 講堂
小平市花小金井1-31-24

講師:小平市医師会長(鈴木小児科内科医院) 鈴木 昌和 氏
『知ろう!小児医療 守ろう!子ども達』の会 代表 阿真 京子 氏

申込み方法:電話かファックス、でお申し込みください。

【問い合わせ・お申込み先】
〒187-0002 小平市花小金井1-31-24
東京都多摩小平保健所 企画調整課 保健医療係
電話 042-450-3111(代)
FAX 042-450-3261
電話のかけ間違いにご注意ください★

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『中規模以上の病院にほしい情報室』

COML医療フォーラム2003報告集「私がほしい「患者情報室」-患者の自立を支える情報の宝庫-p.7~8より引用です。こういう記者の方がいらしたから、朝日新聞は医療報道では「やればできる子」と評価されているのかなと思いました。私は自分が患者や患者家族の時、適切な周辺情報に飢えていました。なにが適切かは『情報室』の書棚をあさりながらだんだん理解できます。

ある先生は、待合室を総合情報センターにを受けて、お勤めの病院の待合室に患者さんのナラティブを
>プライバシーを守った極めて個別の事例報告
として置いてみようとおっしゃってくださいました。祈るような気持ちです。
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21世紀に向けた医療への提言

がん患者 井上平三 新聞記者 54歳

 8年間、通院や入院を繰り返す中で痛切に感じることがあります。それは病院の医者と看護婦、薬剤師など医療者からの情報提供の不足です。診察時に患者に伝えられる治療内容のことではありません。どこの病院にもある受付窓口や案内所と同様に係員が常にいて、外来患者や入院患者の求めに応じて医者の説明不足や、患者が独自に得たいと思う薬・手術・医療など幅広い情報をそこに備え付けられた資料やパソコン、写真、書籍、学会記録、全医者の専門分野とこれまでの実績、医療市民団体リストなどです。誰にでも見ることができるようなコーナーの設置を希望します。私はこれを「情報室」と呼びます。外来の待ち時間でも、入院中も、外部からの使用者も受け入れたいのです。運営は外部の市民団体でも、病院自身でもいいと思います。なぜこんなことを考えたか申しますと、たとえば手術を前に、医者からの説明を受けました。でも自分とよく似た患者のデータがほしくなったのです。どんな手術で、術後の後遺症はどうかなどです。じっくり自分で勉強したかったのです。でも現状では、医療者からの一方的な話だけしかありませんでした。プライバシーを守った極めて個別の事例報告集などがあれば、それを読みたかったのです。自分の参考にして、心構えをして臨みたかったのです。情報室は忙しい医療者の情報提供を補う部門と考えます。患者の院内学習の場です。係員に社会学などを学んだ人がいれば嬉しいですね。患者が無理な場合は、代わって家族が利用して勉強できます。もちろん、お金と人が要ります。それより医療者の意識改革がより求められます。是非、できる病院からつくってほしいものです。
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2003年のものなので古さを感じる部分もあると思います。「医者」なんて表現はちょっと引きます。525円と送料を負担できる方は、ささえあい医療人権センターCOMLの書籍のページhttp://www.coml.gr.jp/books/index.htmlからご注文いただいて、ぜひ全部に目を通していただけたらと思います。

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医師バッシング説得のノウハウ

あくまでノウハウの共有、情報提示ということであげます。決して、神かけて、医療バッシング日記やブログにコメントしてくださいというつもりはありません。コメントをなさることで、もしもいやな思いをなさっても、私はなにもして差し上げられないのです。むしろ、身近な方を説得する時などにご利用いただけるとうれしいです。送信者の方に許可を得て転載します。世の中には、こんなかたもいらっしゃると思うと、じんと来ます。

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碓井真史先生の本を読む(医師バッシング説得へのヒントか)を読んで共感しメールいたしました。

今まで医師バッシングする人たちに「どうやったら伝わるだろう?」と試行錯誤や失敗を重ねて得たのは、まず最初に《共感すること》、そして《否定はしないこと》です。
医師バッシングをする彼らは、ある意味、正義感が強くて、すなおなんですよね。
怒りの矛先が医師に向かっているのはまちがっていますが、「受け入れないなんて患者がかわいそうだ!」という怒り自体はまちがっていません。最初に否定したらその後は読んでもらえませんし、たとえ読んでも素直に読みとってもらえないです。

●『共感する』→医療問題に怒りや悲しみを感じていること自体には共感します。と。
●『食い違いを表明する』→実際の医療現場の過酷な実態を提示して、叩けば叩くほど医療崩壊が進むことを順序だてて説明。「あなたは医療崩壊して欲しくないと思っているのに、無闇に叩くことは医療崩壊を促進させてしまうのです」と。
●『抵抗と共にころがる』→多いのが医師や病院に不信を持った経験があって、医療全体を悪く見てしまっている人です。不信を持ったことが誤解かもしれなくても、その人の受けた傷を「気のせい」とか否定するのはまずいです。傷ついたこと自体には感情を寄り添わせます(やっぱり自分でもそれを否定されたら悲しいですから)。その上で、その医師個人の資質と医療システムの問題は別であることを説明します。相手の意見をまず共感できるところはして、否定をせずに説明をしていく感じでしょうか。
●『自己効力感を支援する』→「医療問題は敷居が高くて素人にはできない」と思ってしまいがちなので、「素人にもできることはあります」とできることを提示します。医療問題をどうにかしたいとせっかく思っていても、では何をしていいかがわからない人は結構多いです。

最初に『こんなことを言ってしまうのは医師不足や過酷な労働を知らないからだ。そして知る機会はなかなかないから知らないのもしょうがない』ということを自分に言い聞かせて、まず、「お怒りになる気持ちわかります」や「悲しい事件ですよね」と共感を示します。「間違ってる!」と思う部分を否定したい気持ちを押さえてそこはあえてスルーします。そしてその次に、このような背景があります、とソースを引用して提示する。

普通の人なら、背景を知れば「ひどいですね…」となります。感情で言い放っているのですでに医師をバッシングしたことは忘れていたりします。意外とすなおに受け入れてもらえますが、ここで「貴方はまちがっています」というと「素人だから知らないもん!」と反感を呼んでしまうことがおおいです。

「ななのつぶやき」の《犠牲》のURL http://blog.m3.com/nana/20071120/1を貼って、読んでみて下さいと書いたことがあります。過労死した医師の数を羅列することよりも、実在したどこかの誰かの人間らしいエピソードを読んでもらったほうが、人の心に入りやすいです。---------------------------------------

素敵なメールをありがとうございます。

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碓井真史先生の本を読む(医師バッシング説得へのヒントか)

迷える母親なので、子育て関連の本を読みます。

「なぜ「少年」は犯罪に走ったのか」KKベストセラーズ
「誰でもいいから殺したかった!追い詰められた青少年の心理」KKベストセラーズ
「人間関係がうまくいく図解嘘の正しい使い方」大和出版

>「自己決定への要求」というのは、人間として基本的な欲求です。「ああしろ」「こうしろ」といわれると心のなかに土足で入られる思い、自我が侵害される気がします。

>非行臨床心理学者の藤岡敦子氏は、非行・犯罪の傾向がある青少年たちを変化させるためのポイントを『犯罪・非行の心理学』(有斐閣)にて、次のようにまとめています。
 まず、「共感を表明すること」。頭ごなしに叱りつけても、彼らは変化しないでしょう。次に、「食い違いを作り出すこと」。これは、たとえば本人は元気になるために薬物を使ったとして、その結果はどうなったか、自分の予想とは食い違っていたことを自覚させることです。「抵抗とともにころがる」。これは、こちらからの意見に彼らが反対、抵抗した時に、真正面から対立するのではなく、一緒に考えてみようとする態度です。そして「自己効力感を支援する」。自己効力感は、ある行動を自分もすることができると感じられる自信です。自分も勉強をし直すことができる、まじめに働くことができるといった自信をもたせることです。
 アルコールであれ、暴走であれ、強制的に止めさせるだけでは問題は解決しないといいます。

頭の中は、医療問題でいっぱいですので、すぐに「あ、これ医師バッシングの説得につかえそう~」と思いました。日頃こどもを頭ごなしに叱りつけてばっかりなのに、できるの?>自分。いえいえ、人生修業です。がんばれ>自分。

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愛する人を亡くした人のための100の言葉

http://www.asahi-net.or.jp/~kx5n-kgym/frame.htmこんなページがあったんですね。知りませんでした。とても慰められます。

喪失悲嘆の見通しがつくという点では、「愛する者を亡くした人への手紙」に軍配が上がると思います。

いずれにせよ、病気の告知であるとか、身近な人の死など、今まさに喪失悲嘆に遭遇している方が、これらのページにたどり着けますように。

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医療ミスと思ったとき、「ひとりぼっち」はまずいのでは

ちゃんとデータで証明するわけでもなく、考えたことを書いてみます。

失恋、ペットが死んだ、障害児が生まれた、医療を受けたのに家族が亡くなったetc.。こんな時の悲しみを「喪失悲嘆」というそうです。「rakitarouの気ままな日常」というブログの「病気を誰かのせいにしたい人達」http://blog.goo.ne.jp/rakitarou/e/e5a400dabc4b344b8c0fc95caa43a29cを拝見して、まず、学校・学校以外を問わず、日本では喪失悲嘆の教育が不十分だとあらためて思いました。次に、「ひとりぼっちはあぶない」と思いました。

人生を考えると、幼年期から青年期にかけてはそれほど大きな喪失経験はないし、あっても家族と共に過ごしている期間なので、セーフティネットがうまく機能している時期だと思います。壮年期から老年期にかけては、直接間接の喪失経験が増えて、喪失悲嘆をうまく乗り越えられるようになっているのではと思います。

核家族は、大きな喪失経験がない状態で、死産や障害児産、妊産婦死亡、あるいはほかの原因の予期せぬ家族の死や障害に でくわすことと思います。そして、個人情報の保護であるとか、他人に迷惑をかけない美徳から、孤立した状態で喪失悲嘆をなんとかしようと努力する。

その結果、「病気を誰かのせいにしたい人達」の三番目のケースが生まれてくるのではないかと思いました。引用は長くなるので、rakitarou先生のブログをお読みいただけたらと思います。

学校で喪失悲嘆まで教えていただけたら最高です。でも、現状では難しいのではないでしょうか。また、教えることでさらに「悲嘆は周囲に迷惑をかけずにひとりで処理」の圧力が高まると困ります。

基本の「き」は、「喪失悲嘆はひとりで支えきれない」につきると思います。病院で望まぬ結果に終わったとき、その病院のスタッフが喪失悲嘆を支えるといっても、文脈からいっても無理があります。利害のからまない第三者が喪失悲嘆につきあうことが、時間がかかるように見えて一番よい方法なのではないかと思います。

喪失悲嘆熟練者のはずのお年寄りの多い地方でも訴訟はあるので、あくまで仮説です。喪失悲嘆入門には、「愛する者を亡くした人への手紙」をおすすめします。扱われているのは家族の死ですが、病気や障害・ペットロスにも当てはまると思います。

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もう一つのパンドラの箱

Yosyan先生が医師当直問題とパンドラの箱

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 ただなんですが、神話でもそうなんですが、存在の知られたパンドラの箱は必ず開けられるものだと考えます。神話では好奇心でしたが、現実社会では好奇心に加えて必要性からです。また神話では開けてみるまで人間は中身を知りませんでしたが、現実社会では内容も開けた時に生じる問題点もほぼ分かっています。つまり存在が認識された時点で封じ込める事は非常に難しくなるのがパンドラの箱だと考えます。

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とお書きでした。出産前教育の不備は、10年以上前から関係者の間では認識されていましたが、これもパンドラの箱だと思います。「封じ込めることが難しい」=「訴訟頻発→医療崩壊」という状況に私には見えます。もう、出産前教育をちゃんとやらなきゃだめだ、という時代になっているのだと考えるのですが、みなさんはいかがですか?

障害児の親になりたてのころ、お産には悲しいこともいっぱいあるって、きちんと教えたほうが絶対にいいと思いました。流産・障害児産・死産・妊産婦死亡。体重制限の指導のバックボーンとしては使われるけれども、では実際どの程度の頻度で起こるのか、しろうとが体感できるような教育は日本ではまったくされていません。

簡単なことです。小学校~高校の教科書で、妊娠の経過を記述する部分に「初期の流産は○%、中期○%、後期○%、妊産婦の死亡は○%」と書くとか、縦軸に死亡胎児・死亡新生児数・横軸に妊娠週数・生後週数をとったグラフをのせるとか。グラフはとてもわかりやすいです。人間の生殖にはエラーがつきもので、わたしたちは不完全な生き物であると。小中高と、複数回そういう情報に接する。

こういう話をさけ続けてきた結果が、今の産科崩壊だと思います。教え始めたら、出生率が下がったりするかもしれませんけれども、一度は通らないといけない道なんじゃないかと思います。

周産期・救急懇談会でもhttp://lohasmedical.jp/blog/2008/11/post_1513.phpこんな話が出ているので、いずれ改善されるのでしょうか。でも、行政がやるから見ていようではなくて、国民の側から出産前教育が必要だと訴えていく方がいいのではないかなと思うのですが、いかがでしょうか。

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戸井田政務官が割り込む。
「少子化なのに低体重児が増えている、それはなぜ」

田村
「先ほど座長が説明した通りで」

戸井田
「要するに高齢出産だからなんだろう。だったら、もっと早く産めと社会に言うべきじゃないのか。それが根本だろう」

田村
「不妊治療の結果として双子、3つ子が増えている。死亡率が5倍に跳ね上がるので、受精卵を戻すときは1つにと学会でも言っているのに、現実には守られていない。高齢出産をやめなさいとは我々の口からは言えない。行政だったら言えるのかもしれないが」

戸井田
「そのリスクを伝えることが大切だろう。みんな簡単に産めるつもりでいるから、何かあった時に話が違うんじゃないかということになる。啓蒙していくのが大事なことだろう」

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普通の人ができることとして、国政にご意見するというのは、なんとなくしづらいと思います。首相官邸や厚生労働省のホームページに行って、意見を投稿するのは意外と簡単なのですが、それよりも簡単なことといえば、自分の家族に出産前教育をする、ロハスメディカル社の「いつかお母さんになるあなたへ」を買って、子供や親せきや親しい人に贈る、でしょうか。もしも「いつかお母さんになるあなたへ」がヒット作品になったとしたら、それは一つの国民の意思だと思うのです。

ほかにもよい方法があるのだと思いますが、思いつきません。ご存じの方にコメントで教えていただけると幸甚です。

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単純な話は、まゆにつばをつけて

あけましておめでとうございます。みなさまの ご健康と ご多幸をお祈りいたします。本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

ところで、松永和紀blog「市民は、どのようにして科学者を見分けたらよいか?」http://blog.goo.ne.jp/wakilab/e/a5b34da0ef09e90ede9aa3dcfd28601bを読んでいて、「単純な話は疑おう」というくだりに思わず膝を打ちました。

私は単純ですので、2018年 菊花病院2018年 地中海病院みたいになってしまうくらいなら、もともとふつうの医療者の方のモラルは高いわけだし(でなければ平均寿命・健康寿命の説明がつかないと思います)、「診療関連死=刑法に問わない」でもいいんじゃないかと思っていました。

しかし、医師の同僚批判を知ると、一般患者にはリピーター医師であるかどうかはまったく評価できないのだとしみじみ思います。患者さんウケが良いケースなんて、お手上げです。

そこへもってきて、2008年10月31日第15回「診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会」の日本救急医学会の見解です。堤 晴彦先生のご発言に、胸をつかれました。

一部を引用すると、本意と違ったものになってしまうかもしれないので、できたら通しで読んでいただけるとうれしいです。「kempou38のブログ」さまに全文がhttp://ameblo.jp/kempou38/entry-10184340692.html掲載されています。といいつつ、一部引用です。赤字加工は忍冬です。

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 大綱案に反対する医師の中には、医療事故はすべて免責にしろ、という意見が
多くみられます。しかしながら、救急医学会は、そのような立場に立って、反対
している訳ではありません。悪いものは、悪い、という立場です。


 自民党のある議員が、救命救急医療に関連した医療事故は、すべて免責にする、というような見解を出されましたが、救急医学会は、その見解には全く乗っておりません。救急医学会の中で、そのようなことが話し合われたこともありません。
もちろん、その国会議員は、救急医療を何とかしなければ、という思いから、そ
のような発言をされたことと推察しており、その気持ちは嬉しく受けとめますが、
救急医学会の総意・真意ではございません。このことは、明言しておきます。

 日本救急医学会が問題にしていることは、医療の場合、何が業務上過失になる
のかが、良く分からないということであります。それ故に、医療側は、不安、不
満、そして人によっては、怒りとも言える気持ちになっているのです。その結果、
救急患者を診ない方が安全である、あるいは、大きな難しい手術は避けた方が安
全、という防衛医療・萎縮医療が加速しているのです。

(中略)

 一方、これまでに行われた医療事故の刑事裁判においては、医療側も、警察・
検察側も、そして、さらには、被害者のご遺族も、皆傷ついております。誰一人、
満足しておりません。

 私自身、医療事故被害者の会の主催するシンポジウムにも参加させて頂きました。広尾病院の被害者の永井さんの話も伺いました。胸を打たれる思いがあります。

 医療側のみならず、警察・検察を含めて、自らの組織の立場だけを考えずに、
もっともっと、踏み込んだ議論、そして、本音を語り、歩み寄って、より良き医
療事故調査委員会ができることを望んでおります。
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堤先生は、医療事故被害者の会の方や永井さんと、直接お話しになったのですね。自分のどこかに、ひとの尻馬に乗っていたところがなかったか、胸に手をあてています。今年は、自分の頭の中で、物事を単純な話にしてしまわないように気をつけたいと思います。

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「自己決定」の陥穽

結論は、NHK出版「安心して絶望できる人生」向谷地生良・浦河べてるの家著p.67-68。以下引用です。出版物の引用許可っていらないんでしょうか。

12月8日追記:現状では「個人情報の保護」のもと、インフォームドコンセントや自己決定の場で「当事者」と「専門家」間のみで決定が迫られる。しかし、精神障害でも流産でも難病でも何でも、もしかしたら当事者にとっても周囲にとっても「その病気である」と公表するメリットの方がデメリットより大きく、情報の秘匿は、自己決定における構造的な欠陥なのではないか。という、トンデモ?を書いてみます。(個人で何とかしなければならないのであれば、精神障害なら「べてるの家」の取り組みは不可能になりますし、流産の悲しみも全体に共有されないことで新たに流産する人の悲しみが増幅されているように私には見えます。)追記終わり

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 その自己決定論を背景として専門家が当事者とかわす言葉の中に、「あなたはどうしたいの……」という問いかけが、あらゆる場面で見受けられるようになりました。しかし、その問いを投げかけられた当事者の多くは、「自分で決めたのだから、その結果責任はあなた自身が背負うことになります」という背後にあるメッセージに緊張を覚え、恐怖を感じるといいます。

 実は、浦河では全く正反対のことが、当事者性の原則として受け継がれてきました。それは「自分のことは、自分だけで決めない」ということです。それは、いくら「自己決定」といっても、人とのつながりを失い、孤立と孤独の中での「自己決定」は、危ういという経験則が生み出したものです。

 それは、自分自身が最も力を発揮できるのは、自分の無力さを受け入れ、さまざまなこだわりやとらわれの気持ちから解放され、自分自身と人とのゆるやかな信頼を取り戻すことができたときだということを知っているからです。

 自己決定とは「自分だけでは決めない」という、人とのつながりの確かさがあってこそ、成り立つ態度ということもできます。その意味で「当事者」であるということは、単に医学的な病気や障害を抱えたことのみをもっていうのではなく、自分自身の「統治者」になろうというプロセスであるということもできます。

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これを取り上げたいと思った理由は、11月27日付琴子の母さんのブログ「助産院は安全?」の記事「死はロマンなのか?」http://plaza.rakuten.co.jp/josanin/diary/200811270000/#commentへのコメントを書いて自分で「ツボ」と思った点がこれなのではないかと思ったためです。

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琴子の母さん、お返事ありがとうございます。

身近に自宅出産された方がいます。出産後に知り合いました。その方のお話をうかがっていると、出産に関して主体でありたかったことと、かかりつけの助産師さんや出産目前までかかっていた産婦人科診療所をとても信頼していらしたことが伝わってきました。

琴子の母さんも私も、「なにかあっても大丈夫」の意味するところがどの程度であるのか、身にしみてよくわかっていると思います。正直、そのかたの「なにかあっても大丈夫」の言葉からは、何かふわふわした現実味のない印象を感じました。

彼女だけを責めるわけにはいかないと思うのです。死も病気も障害も、家族、とりわけ核家族からは切り離されて、小説やマンガ、ドラマの中でしかお目にかかる機会はありません。その頻度は、現実よりはるかに少ないです。そして美化されてリアリティのないものばかりです。

もっともっと、現実の死に立ち会う機会を、私たちは意識して作った方がいいのだろうと思います。少なくとも自分の家族にはそうしていくつもりです。

昔の自分は、自宅出産希望の方に「赤ちゃんに何かあったらどうする」としか言えませんでした。今はそれに加えて「産科医療が崩壊している現状で、急変時に周囲の妊婦さんに与えるダメージまで考えたか」までいえると思います。

だけれども、出産や病気に主体的に向き合いたいという気持ちには沿ってあげたいですし、自分が病気になるときには、主体でありたいです。

2回目のお産は入院も長く予定された日の帝王切開でしたが、よく被害者意識で語られる「機械的に産まされた」感はありませんでした。そのあたりに、何かツボがあるのかな、と思います。(2008.12.02 13:59:49)
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常位胎盤早期剥離経験者の2度目のお産でありまして、自分の迎えるであろうお産のシビアさを懇切丁寧に説明していただき、自分の無力さダメダメさを受け入れ、医療者の皆さんには供給しうるリソースをもって伴走していただきました。感情的な交流はさておき、技術を通じて常に医療者とつながりがあると確信して事態に臨めたわけです。

自宅出産の満足度も、望まぬ結果にならない限り、自己決定の「自分だけで決めない」セオリーが満たされるので高いのではないかと思いました。

この2例は「当事者」「医療者」間のつながりですが、向谷地さんの書かれたシステムではグループホームや作業所で働く仲間とのつながりがとても大きな比重を占めていると思います。一人の人とのつながりが一つのセーフティーネットだと仮定すると、とても強力な重層構造のセーフティネットが存在しているのだろうなぁと思います。

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周囲と比較して「不幸自慢」をしない心構えをする

いやあ、痛みで気絶、できませんね。脊椎破裂骨折のとき、痛かったですが、気絶しませんでした。受傷してすぐに「こ、これなら若いころの生理痛の方が痛かった。」と思いましたが、その顔面蒼白で冷や汗をかくような痛みでも気絶しませんでした。

NANさんの手術の思い出を拝見して「ま、まけた…。」と思いました。悲惨さもそうですが、1日でよくこんなにきれいな文章がかけるものだ(つばゴクリ)なんて。きゃ~~~~!!!NANさんステキo(*^▽^*)o!そのトラックバックにこんなことを書いて、嫌われたらどうしよう~~~といいつつ、大事なことなので書きます。

ええと、表題です。これは私のオリジナルではなくて、10年くらい前に某所で読み、感心して心の中にメモしていたものです。当時私は障害児の親コミュニティにいました。障害児の親って、(いや、核家族の乳児の親全般に言えると思いますが)ひっじょおおおおに世界が狭い。で、頭の中は わが子の障害のことでいっぱい。すると、他のお子さんと自分の子供を比較したり、たとえば「うちは重症心身障害だから生活全部介助で これっていつまで続くんだよって感じだけど、自閉症は自分で歩いて食べてくれるからいいな~」とか考えちゃったりする。

しかし、障害が軽けりゃ楽ってものでもないし、重いからイバっていいってもんでもないわけです。病気でもおんなじですよね。がんとかでも。NANさんも、私も、世界に一つだけの体験をして、たぶん今 日本という国に生きている(死んでませんよね?)。お互い、いろいろ苦労してきましたね、お疲れ様、という感じでお付き合いしていかないと、少なくとも入院中の大部屋とか障害児の親の会やら作業所とかの「公」の場で、精神的な負担を自分や周りにかけてしまう。そういう段階にずっぽりはまって、そのむなしさに気が付かないと、さらに先に進めないってところもあると思いますが、一応このブログ、試験のアンチョコ(ひょっとして死語?)みたいになればいいな~と思っているので書いてみました。

もちろん、そういうものすごい「負の感情」「負の考え」を否定することはないわけで、そういうのは、大部屋だったら見舞客に、同室の人がいない場所で思いっきり聞いてもらえばよいと思います。見舞客は、「大丈夫、元気よ。」という言葉を聞きに行っては いけないと思う。患者さんの心のごみ捨て場になってあげてください。患者相談室の人とか、話しやすそうな看護婦さん相手に聞いてもらうのもいいかもしれないですね。

追記:最後にお断りしておきますが、NANさんのエントリが「不幸自慢だ!」と思ったのではなくて、自分で自分の経験とNANさんの経験をつい比較してしまい、ちょびっとだけ劣等感っぽいものを感じてしまったので書いてしまいました。個々の経験談は貴重です。わかりやすくするために表題に「周囲と比較して」を加えました。

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