「風になったしいある―軽井沢産婦人科医療事故遺族の手記」鎮魂と再生について考えました(2)
私はつねづね、ほんの少しの偶然のおかげで、著者の鈴木美津子さんのような行動をとらなかっただけだと思っているのです。
10年以上ずっと考えています。枕に突っ伏して泣きながらこぶしで布団を殴りつつ「なぜ自分がこんな目に?受けた医療に問題があったのでは?×★%*☆!!!」と考え「でも、受けた医療に問題はなかったのかもしれないな?」とふと思えたのはなぜか。
当時、医療裁判は起こしても必ず負けるといわれていました。私には、「裁判するんでしょ、がんばりなさい。」という知人も新聞社の人もいませんでした。理不尽な結果と時代に怒り悲しんでいましたが、結果的には時代に守ってもらいました。「問題がなかったのかもしれない」と思いつかなかったり、金銭的にゆとりがあって、必ず負けるわけでもなくて、裁判を起こすことができると思える状況であれば、自分はどうなっていたかなあと思います。
この本はこたえたので、回復のために「金香百合のジェンダーワークショップ」とBANANA FISHの「光の庭」をていねいに読み返しました。金さんはわかりやすい説明をしてくれます。「体の栄養と心の栄養と、両方が足りていることが大切。両方の栄養が足りていると健康な自尊感情を持てる。健康な自尊感情は「私OK」・「あなたOK」だけれど、「人なんか知ったこっちゃない、私だけ好き、私だけOK」の自己中心感情が増えてきている。」人が人として付き合うより、医師・患者であるとか販売員・顧客であるとか、人の役割の一部でしか付き合わない関係ばかりで暮らすようになったからでしょうか。
私たちの大切な人は死んでしまいました。そのことを容認することはむずかしいかもしれません。いつか、「死んでいてもいいよ、死んだあなたに対してOK、生きている私もOK」と思えるようになって、はじめて一歩がふみだせるのかなと思います。
BANANA FISHはマンガです。1巻から全部読むと、番外編の「光の庭」は、あってほしい、なくてはならない、と思います。鎮魂と再生について、万人がこうあってほしいと思う一つの理想のかたちだとおもいます。カタルシスというのでしょうか、すっきりします。
「風になったしいある」を読んで良かったと思います。自分の最初の「なぜこんな目に?!」のとき、自分の感情よりも、医療の事情を知ることと そこから導き出される正当性を受け入れることを優先しました。ちょっと無理してしまって、結局「悲哀の仕事」に自分もつまづいていたのだな~と思いました。自分の感情最優先でもうまくないし、周囲の事情最優先でもうまくありません。
金香百合さんは、第1段階として、存在する感情を受け入れること、第2段階として、受け入れた感情を状況に応じて表出することを書かれています。それが、セルフコントロールです。
昔がすべて良かったわけでもないけれど、「喪に服す」という習慣は、もし仮にそれが、社会的に重要な判断を喪の期間は免除されるということであったなら、とてもよい習慣だったのではないかと思います。喪の期間に、適切な状況であると自力で判断して、その状況を選んで感情を表現するなんて、ちょっと現実的ではないと思います。そう見える人がいたとしたら、それは感情を抑圧しているだけではないかと思います。いや実際、立派な人はいるので、全員が全員抑圧でもないとおもいますが。
そんなことを考えさせていただけて、「風になったしいある」との出会いは、私にとって必要だったのだと思いました。著者に深く感謝します。
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