SSTというのは、ソーシャル・スキル・トレーニングのことです。7月11日の「待ち時間わが子に振舞い方を教える」を書いて、「はて、私はなぜ暴言を吐いたのだろう?」と疑問を感じました。なにかモンスター患者について書かれた本や記事を読めばすむ話ですが、ちょっと考えてみました。
「いじめと戦おう!~対策と克服法~」http://ijimetotatakau.upper.jp/taisaku_kiroku.htmlに、以下のような記述があります。
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戦うには、「こっちは悪くないのに、ひどいことをされた!」と実感することが何よりも必要です。
ケンカで考えてみましょう。ガキ大将でも暴走族でも暴力団でもいいです。そういった人たちは、必ず戦う前に理由を相手に宣言します。
「オレたちが先に来ただろ!ここで遊ぶなよ!」とか、「おう、こないだオレのダチに、手ぇ出しやがったな?」とか、「借りた金は返さねぇとなぁ」とか、”お前が悪い”ということを相手に分からせようとします。
たとえ相手が納得しなくても、こちらに戦う勢いが出てきます。それは、「相手が悪い。こっちは正しい。」という気持ちをしっかりと確認するからです。
”ケンカ”をできる人というのは、「こうで、こうだから相手が悪い」と理屈づけられる人です。まず、自分でそう思えなければ、ケンカそのものをできません。
いじめられっ子は、何度も何度も”~だからお前が悪い”と聞かされてきて、自分でも納得しかけてしまっているんです。だから、「自分を守ろう!」と戦えません。
いじめっ子は、友達がたくさんいます。
「あんなに友達が多い○○くんが言うんだから、正しいんだろう・・・」
いじめっ子の友達も同じことを言います。
「みんなが言うから、正しいんだろう・・・」
何もしないけど、いじめを見て笑う人もたくさんいます。
「笑うということは、言わないけど、みんなもそう思っているんだろう・・・」
いじめっ子の説得工作にまんまと自分も「そうだ」と思いかけているんです。まず、自分自身を立ち上がらせなくてはいけません。「ぼくはひどいことされているんだ!」と真っ先に分からせるのは自分です。
記録すると、一番大切な「ぼくは正しい」と思う理由をたくさん作れます。負けないための、燃えつづけるガソリンになってくれます。
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検査が痛いのは、骨折患者にとって当たり前です。毎日痛くて感情の制御が甘くなっていた上に、なにか、ガマンするのがバカらしくなるような引き金があったのではないか。暴言を通じてお伝えしたかったことが「私はモノではありません。私の痛みをわかってください。」であるなら、暴言を吐くまでの時間に技師さんから感じたことは「あなたはモノ。あなたの痛みはどうでもいい。」であるはずです。
ちゃんと覚えていないのでストーリーをでっち上げている可能性もありますが、こんなシーンの記憶が。
寝たきりの私、ベッドごと検査の部屋まで看護士さんに運んでいただく。
「おはようございます!お願いします!整形の忍冬さんです。(この辺はアヤシイ記憶)」
(自分から入室するという意識がなかったので私は無言だったのでは??あるいは、人に頼ることに慣れてしまってお子様的精神状態とか)
(なにやらスタッフ間で申し送り?)
こんな経緯で、ベッドから台への移動があったのでは。こちらから「おはようございます!」とアイサツをしていれば、私もそれなりに「人」という感じで扱っていただけたのではないかと。あるいはベタで、「うそでいいので『痛いのにガマンしてえらいね』って言ってくださいませんか。」と頼んでしまうとか。
数年前に「降りていく生き方」「べてるの家の「非」援助論」という本を読みました。べてるの家http://www18.ocn.ne.jp/~bethel/index.htmlというところで、精神障害をもつ人たちが、医療者と一緒に、地域の活性化のために商売を始める、という話です。その中にSST(ソーシャル・スキル・トレーニング)の場面が出てきて、おもしろいので笑ってしまいました。
これから、偏見に満ちた 分をわきまえないことを書きます。私、医療者の方々の中には、ADHD(注意欠陥多動症候群)とかアスペルガーとかとの境界に近いかたも大勢いらっしゃるのではないかと思っています。別にADHDやアスペルガーに限定しなくてもいいので、人間に得手不得手があるのは当たり前です。
コミュニケーション下手なら下手と お認めになってもいいじゃないですか。その上で、SST実行してごらんになるのはいかがでしょうか。別に これは医療者に限ったことではなくて、非医療者もそうです。病院の待ち時間なんて腐るほどあります。病院に気軽に入れるSSTもどきの部屋があってもいいんじゃないでしょうか。あるいは、患者会にとりいれていくとか。医療者の方は、SSTよりも まず奴隷労働状態の改善からですが。
などと考えておりましたら、MRICに「社会システム・デザイン・アプローチによる医療システム・デザイン 3」http://mric.tanaka.md/2008/07/14/_vol_93_1.html#moreにこんな部分がありましたので、一部引用します。
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あなたが「医者に会う時はすでに患者である」というのは、結構辛いものがあります。そこに私の健康診断担当の先生が座っておられるけど、あの先生にお目にかかった時はすでに私は患者であったわけです。生活態度が悪いといって叱られるのではないかと、すでにすごい引け目な言い訳がましい感情になってしまいます。そういう関係が、やはりお互い非常に複雑な心境にさせますので、医師に会う時にはすでに患者という状況を変えたいと思います。
患者ではなく、普通人として医師にであうようなことがもっと出来ないはずはないのです。そのような状況が出来てくると、抽象的、一般的医師というのはありえず実際には医師も我々と同じような普通人なのだから医師というのは様々なタイプの人がいるのだということがわかる組み立てが出来ないのか。
だから、ユートピアなのですが、デザインですから何度でも何度でも変え、改良していけばいいのです。皆さんが「こんな馬鹿なこと出来ないよ」と言われれば、もう一工夫します。ということで、今の所は馬鹿なことというか、非現実に近いことを考えています。とはいえ、医師と一般人が出会う場が本当にあると、やはり医師にもピンからキリまであるということもわかります。自分とケミストリーが合う人も、そうではない人もいます。そして、気の合いそうな医者が意外と自分の近くにいるんだねということが分かっていくというようなことを組み立てられないかということです。
図14
厚労省はある種の施策は導入するけど、それに当然伴うべき施策の導入は欠落しています。インフォームド・コンセントとかセカンド・オピニオンとか言いますけどそのために必要な医師のコミュニケーション・スキルはどこで訓練しているのか。全然無いではないかということです。要するに、刑事犯になる可能性があったら、コミュニケーション・スキルのないまま、ものすごい腰の引けた話をたくさんするはずです。この手術をすると、成功確率はどうこうでというようにリスクを散々聞かされたうえで、手術を受けルことに同意しますかといわれても困るというような問題があります。だから、インフォームド・コンセントやセカンド・オピニオンということを言うのであれば、相手の感情を理解しながら説明できるようにメディカル・コミュニケーションということをちゃんと訓練すべきではないか。それは、厚労省の管轄ではなくて、文科省の管轄です。
文科省の「医療教育の10年像」とう報告書が出ていますから、御覧になるといいです。メディカル・コミュニケーションを一言も言っていません。全くゼロです。だから、腕は立つが口は立たないという医師ばかりになってしまうではやはり困ります。特に、心の病気が体に影響するような時代に、心のケアというのはコミュニケーションであって、それが出来るような訓練というのは別に精神分析医だけではなくて、医師のすべてがやるべきではないかと思います。しかし、文科省にはそういう観点はないようです。でも、そういうコミュニケーションの訓練がされていれば医者対患者の関係がこじれてしまうことのないようになり、そうするとまたそのサブセットとして健康人と医師との対話関係がコミュニティ医の役割を醸成し、勤務医の労働時間が減り、また健康人との対話が増えるという良循環が出来ます。本当かと言われそうですが、例えばこのようなことを良循環として組み立てるのだということです。
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7月18日追記:SSTは、コミュニケーションスキルの練習にとどまらず、仲間に自分の抱えている問題を共有してもらうことで、支えられていると感じることができるのがミソだと思います。たいへん恐れ多いのですが、「日々是よろずER診療」の「DESC法ってご存知ですか?」のDESC法、SSTの場で練習されたらよいのではと思いました。スキルもあがりますし、場の力も上がると思います。ダメもとでトラックバックをお送りしてみます。
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