「自己決定」の陥穽
結論は、NHK出版「安心して絶望できる人生」向谷地生良・浦河べてるの家著p.67-68。以下引用です。出版物の引用許可っていらないんでしょうか。
12月8日追記:現状では「個人情報の保護」のもと、インフォームドコンセントや自己決定の場で「当事者」と「専門家」間のみで決定が迫られる。しかし、精神障害でも流産でも難病でも何でも、もしかしたら当事者にとっても周囲にとっても「その病気である」と公表するメリットの方がデメリットより大きく、情報の秘匿は、自己決定における構造的な欠陥なのではないか。という、トンデモ?を書いてみます。(個人で何とかしなければならないのであれば、精神障害なら「べてるの家」の取り組みは不可能になりますし、流産の悲しみも全体に共有されないことで新たに流産する人の悲しみが増幅されているように私には見えます。)追記終わり
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その自己決定論を背景として専門家が当事者とかわす言葉の中に、「あなたはどうしたいの……」という問いかけが、あらゆる場面で見受けられるようになりました。しかし、その問いを投げかけられた当事者の多くは、「自分で決めたのだから、その結果責任はあなた自身が背負うことになります」という背後にあるメッセージに緊張を覚え、恐怖を感じるといいます。
実は、浦河では全く正反対のことが、当事者性の原則として受け継がれてきました。それは「自分のことは、自分だけで決めない」ということです。それは、いくら「自己決定」といっても、人とのつながりを失い、孤立と孤独の中での「自己決定」は、危ういという経験則が生み出したものです。
それは、自分自身が最も力を発揮できるのは、自分の無力さを受け入れ、さまざまなこだわりやとらわれの気持ちから解放され、自分自身と人とのゆるやかな信頼を取り戻すことができたときだということを知っているからです。
自己決定とは「自分だけでは決めない」という、人とのつながりの確かさがあってこそ、成り立つ態度ということもできます。その意味で「当事者」であるということは、単に医学的な病気や障害を抱えたことのみをもっていうのではなく、自分自身の「統治者」になろうというプロセスであるということもできます。
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これを取り上げたいと思った理由は、11月27日付琴子の母さんのブログ「助産院は安全?」の記事「死はロマンなのか?」http://plaza.rakuten.co.jp/josanin/diary/200811270000/#commentへのコメントを書いて自分で「ツボ」と思った点がこれなのではないかと思ったためです。
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琴子の母さん、お返事ありがとうございます。
身近に自宅出産された方がいます。出産後に知り合いました。その方のお話をうかがっていると、出産に関して主体でありたかったことと、かかりつけの助産師さんや出産目前までかかっていた産婦人科診療所をとても信頼していらしたことが伝わってきました。
琴子の母さんも私も、「なにかあっても大丈夫」の意味するところがどの程度であるのか、身にしみてよくわかっていると思います。正直、そのかたの「なにかあっても大丈夫」の言葉からは、何かふわふわした現実味のない印象を感じました。
彼女だけを責めるわけにはいかないと思うのです。死も病気も障害も、家族、とりわけ核家族からは切り離されて、小説やマンガ、ドラマの中でしかお目にかかる機会はありません。その頻度は、現実よりはるかに少ないです。そして美化されてリアリティのないものばかりです。
もっともっと、現実の死に立ち会う機会を、私たちは意識して作った方がいいのだろうと思います。少なくとも自分の家族にはそうしていくつもりです。
昔の自分は、自宅出産希望の方に「赤ちゃんに何かあったらどうする」としか言えませんでした。今はそれに加えて「産科医療が崩壊している現状で、急変時に周囲の妊婦さんに与えるダメージまで考えたか」までいえると思います。
だけれども、出産や病気に主体的に向き合いたいという気持ちには沿ってあげたいですし、自分が病気になるときには、主体でありたいです。
2回目のお産は入院も長く予定された日の帝王切開でしたが、よく被害者意識で語られる「機械的に産まされた」感はありませんでした。そのあたりに、何かツボがあるのかな、と思います。(2008.12.02 13:59:49)
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常位胎盤早期剥離経験者の2度目のお産でありまして、自分の迎えるであろうお産のシビアさを懇切丁寧に説明していただき、自分の無力さダメダメさを受け入れ、医療者の皆さんには供給しうるリソースをもって伴走していただきました。感情的な交流はさておき、技術を通じて常に医療者とつながりがあると確信して事態に臨めたわけです。
自宅出産の満足度も、望まぬ結果にならない限り、自己決定の「自分だけで決めない」セオリーが満たされるので高いのではないかと思いました。
この2例は「当事者」「医療者」間のつながりですが、向谷地さんの書かれたシステムではグループホームや作業所で働く仲間とのつながりがとても大きな比重を占めていると思います。一人の人とのつながりが一つのセーフティーネットだと仮定すると、とても強力な重層構造のセーフティネットが存在しているのだろうなぁと思います。
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